1825日。

巷ではアイドルが解散し、また別のアイドルが解散を

2日後に控えてる2018年9月22日。

 

だけど、正直そんなことがどうでもよくなるくらい

ずっとずっと私にとって9月22日は大切な日。

 

 

 

 

5年前の2013年9月22日

 

私は「推しとの別れ」を初めて経験した。

 

 

その年の全国ツアーが始まった7月の初旬、

私が行ってない九州の地から届いた

"体調不良による欠席の知らせ"

 

見てるこっちが心配になるくらい体を鍛えて、

"男"のクオリティを上げることに一切の妥協を見せなかった人だから、そりゃあ夏だし体調も崩すだろうって、その程度にしか思ってなくて、

 

まさかそこから2ヶ月間も会えなくなるとは。

 

さすがに想像もしていなかったよ。

 

 

オレンジがない、7人しかいないステージに

悲しくも少しずつ慣れてきてしまった夏の終わり、

 

ツアーファイナルのアンコールで突然登場してきた

オレンジのTシャツ。

 

ステージの真ん中で、「ずっと待ってたよ」って

涙と笑顔が混じった顔の仲間たちに抱きつかれて

照れくさそうに笑うその姿。

 

3ヶ月ぶりに見た色と姿を見て思い出したのは、

初の凱旋公演になるはずだった京都での

「お願いだから、渋公だけは絶対に来て」

という光黄くんの言葉。

 

今みたいな推しTもなかった時代で、オレンジの洋服を私が着ていることなんて片手で数えるくらいだったのに「ゆなちゃんはやっぱりオレンジが1番似合うよ」って光黄くんはいつも言ってくれてた。いないときも。

どんなときでも私を"オレンジ推し"として見てくれてた光黄くんがあの場所で伝えてくれた言葉の本当の意味がやっとわかった。

ファイナルであるこの日、水色推しとしてツアーを楽しんでいた私が、やっと、3ヶ月ぶりにオレンジ推しにも戻れることを教えてくれた。

 

 

ステージに立つ3ヶ月ぶりの大好きな人は

金色のメッシュ、オレンジのTシャツ、

濃いアイラインにカラコン

 

別れはまだ先だろうって根拠もなく信じてた5月、そういえば握手で「V系みたいな格好がしたい!」ってよく話してくれたよね。似合いそうだけど私は好みじゃないと答えたなあ(笑)

やっぱり私はもっとナチュラルな方が好きではあったけど、でも今までとがらっと変わったビジュアルに驚きと戸惑いを隠せなかった私たちを置き去りにして、このスタイルを1番楽しんでる姿を見れたのは嬉しかった。

 

最後にやりたい格好ができて良かったね。

 

 

5年前の今日。突然決まった卒業式。

最後の最後まで破天荒で人が予測できないことばかりする人でした。 

 

 

約5年間いたグループを卒業するのに、

このグループの卒業が意味するのは

もう2度と"その姿"には会えないってことなのに、

 

その卒業式でまさか自分の尊敬するアーティストの曲をソロで歌うとは。

別れや卒業とはかけ離れた、楽しいことをいっぱいしてる夏休みの曲を最後に歌うとは。

 

私の想像していたアイドルの卒業とは、

私が見てきたアイドルの卒業とはかけ離れた卒業式。

最後まで私の中の常識は彼に覆された。

 

 

 

「予定調和な涙はいらない」

「悲しい気持ちに染まりたくない」

「大切な子の泣き顔が最後は悲しい」

 

彼は悲しくても涙を流さない人だった。泣きじゃくる人の隣でそっと肩を抱いて自分は耐える人だった。

自分が原因で涙を流している人に手を差し伸べることはできないから、せめて最後まで笑顔でいさせたい。

自分のせいで悲しくなることは出来る限り避けたい。

 

きっとそんな思いを最後まで持ちながら、

彼は"流原蓮次"の人生を終えたんだと思う。

 

本当のことは彼にしかわからないけれど、

私はそうだと信じてる。5年たった今も。

 

どこまでも変な人だったけど、彼の気持ちの本質に、

彼が考えることの中心にいたのは、

いつも「ファンのみんな」だったから。

 

 

 

 

13歳のときに私は彼に出逢った。

 

最初はよくわからない人だった。

最後までよくわからない人だった。

よくわからないから、たくさんぶつかった。

アイドルとファンという関係を無視して

言い争ったことも何度もあった。

 

 

でも、その度にわかりやすい優しさに触れた。

子どもな私でも理解できるように納得できるように

しっかり向き合ってくれた。

 

いつもは子ども扱いするのに、お姉(兄)さんぶるのに、

大事なときは1人の人として向き合ってくれた。

 

 

哲学的すぎて話がわからなかったりもしたけど、

握手会が勉強会になったことも何回もあったけど、

人が想像もできないようなことばかりしてたけど、

その全ては優しさからきていた。

 

本当は人のことが大好きで、誰かのために何かをできることが嬉しくて、誰かの支えになれてることが幸せで、

自分本意に見えていた彼は誰よりも優しかった。

 

 

誤解されやすい人だけど、私が誤解してしまわないようちゃんと教えてくれた。ちゃんと伝えてくれた。

 

ちゃんと大切にしてくれた。

 

2009年6月11日から2013年9月22日まで、

1560日間、1日も欠かさず大切にしてもらった。

 

 

 

そんな貴方に会えなくなって今日で1825日。

 

私は今、貴方のいないステージを見ながら

貴方の声が聞こえない歌をききながら

貴方が出逢わせてくれた後輩たちのいる

貴方のいたグループを変わらず応援しています。

 

 

今もし貴方がいたらどうなってたんだろう、

どんな考えを思いついただろう…

そんなことを考えたりすることもあるけど、

貴方がいないから出来たこともきっとありました。

そしてこれからもたくさんあるでしょう。

 

 

貴方が5年間背負った夕陽のようなオレンジ色は、

今は陽だまりのようなオレンジ色となって

再びグループを照らしています。

 

貴方が苦手ながらに必死に伝えていた歌詞は、

自慢の後輩たちが大切に伝え続けています。

 

 

貴方のことと共に応援していた大切な人は、

今では最年長となりグループの先頭に立って

全身全霊をかけてグループを守ってくれています。

いつかの貴方のように、どんなときも隣に寄り添って

肩を抱く優しいお父さんになりました。

 

 

迷っていたときにくれた

「ゆなの人生はゆなだけのものだよ。」の言葉を胸に、

私はこれからも、貴方との約束通り

今いる大切な人と、大切なグループを

貴方のようにどんなときでも大切にしていきます。

 

 

そして2日後、貴方が立つことのなかった

大きな大きなステージに再び立つ6人の姿を

レジェンドとして出演するであろう貴方の姿を

しっかり見届けて目に焼き付けてきます。

 

 

 

出逢ってくれて、

大切なものに出逢わせてくれてありがとう( ◜◡◝ )